山梨県韮崎市 武田八幡宮本殿

武田八幡宮は、社記によれば、武田王を祀る宮社があったところへ、弘仁13年(822)2月に勅令によって、九州宇佐八幡宮を勧請し合祀したことから、武田八幡宮と称したといわれています。貞観年間(859〜877)には京都岩清水八幡宮を勧請しています。甲斐源氏、新羅三郎義光のひ孫に当たる信義は本地に居館を置き(市指定文化財「武田信義館跡」)、武田太郎信義を名乗り、当社を氏神としました。韮崎市が甲斐武田氏発祥の地といわれるゆえんでもあります。 天文10年(1542)には武田晴信(後の信玄)が本殿を再興しました。 本殿は三間社流造桧皮葺で、木割が雄大で装飾的意匠に優れていて、室町時代の特色を示すとともに、武田氏隆興期の力強さをかんじることができます。